古民家ひとり再生中!まねきねこです。
この古民家、人が住まなくなってからは物置となっていて、荷物は持ち主さんによってほぼ片付けられました。物がなくなってがらんどうの中、残っていたものが2、3ありました。
年代物のジャノメミシン
アンティークショップなんかで見たことがあってわかりました、ジャノメのミシンです。知らなければ、ピアノかな?ってぐらい大きく、そして重い。脚の部分に新品の時の包装紙とみられる紙がまだ巻かれていました。足こぎタイプのミシンです。
天板を開くと、、
エメラルドグリーンのミシンが格納されています。起こして固定すると、、
じゃーん。変形完了。
この鋳物の脚の部分が重いのか、このミシン超重量級です。30kgくらいあるんじゃないかな。鋳物式製麺機ならぬ、鋳物式裁縫機。
ところで蛇の目(ジャノメ)ミシンってなんでヘビの目なの?って思って調べてみたらジャノメミシンのホームページに書いてありました。
昭和10年、自社ブランドに「蛇の目傘」などと同様に、「蛇の目」の名を冠した「蛇の目ミシン」として製造・販売を開始しました。
これは、ミシンの通称カマ部と呼ばれる部分におさめられたボビンの形が、「蛇の目」に似た丸い形状だったことから、ボビンの形が「蛇の目」に見える新しいミシンは「蛇の目式」と呼ばれたことによります。
(蛇の目ミシン工業株式会社HPより)
蛇の目とはボビンの形なんですね。そのボビンがこちら
これが蛇の目、、なのか?いまいち昔の人の感性がわかりませんでした。
掛け時計?
壁にかかっていた時計と思われるものです。
しかしよくよく見ると長針短針がなく、数字もめちゃくちゃ。
さらに裏を見て驚いたのは、
「NINTENDO」って書いてある!しかも1970年!
驚いて調べてみました。Wikipediaによると、1970年はまだファミコンが発売される前で任天堂がまだ玩具メーカーだった頃の製品のようです。
1970年代後期からは家庭用や業務用のコンピュータゲーム機の開発を開始。1983年(昭和58年)発売の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」用ソフトとして1985年(昭和60年)に発売した『スーパーマリオブラザーズ』は世界的にヒットし、任天堂はゲーム機やゲームソフトを開発する会社として広く認知されるようになった。
さらにネットで調べを進めると、商品を発見!アマゾンに商品登録がありました!
このおもちゃは電子銃で打ってルーレットを回す遊び方のようです。なんでルーレットが壁にかかっているのか謎でしたが、なるほど、銃の的だったから壁にかけてあったんですね。
ところでこの光線銃シリーズ、弾の代わりに光線で的を打つ銃で、ハイテクな感じが当時の子供に大ヒット。この成功が契機となって任天堂は電子玩具の研究開発に注力し、歴史的な大発明となるファミコンの開発につながったのだとか。
任天堂は、光線銃SPのヒットがきっかけとなって光線銃の太陽電池を開発した技術者・上村雅之をシャープから引き抜くなどして、エレクトロニクス技術を用いた玩具の開発に力を注ぐようになったが、その後の商品展開は決して順調とはいえず、逆に大きな負債を抱え込むこともあった。しかしながら、その後もエレクトロニクス技術の習得とそれを用いた玩具の開発・販売を続ける。一方、任天堂レジャーシステムはレーザークレーに代わってレジャー施設やゲームセンター向けの業務用ゲーム機を手掛けるようになる。それが業務用で大ヒットとなった『ドンキーコング』や『マリオブラザーズ』と言った人気ゲームにつながり、さらにはそれらが家庭用に移植されたゲーム&ウオッチやファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)の成功に繋がっていった。
期せずしてこんなところで任天堂の歴史の重要な一転換点を目の当たりにしたのでした。
観光地のペナント
昔はお土産の定番だったペナント。ペナントという言葉自体、使ったの何年ぶりだろう・・。
調べてみたら現代のお土産屋さんからは消えているようです。
現代のペナントといえばご当地キティ―とかご当地キューピーとか、そういうのですかね?日本人は今も昔もコレクション好きですね。
謎の陶器
陶器なら特に驚きもしないんですが、なんと床下から出てきました。
まさかお宝が中にしまってあるのか!?
サプライズはありませんでした。
古いものはいいですね
古い物って、その物自体の歴史ももちろんですが、それを使った人のストーリーも感じられて面白いですね。今回はあった場所にそのまま残されていたし、使った人も知っているしで、その時代にタイムスリップしたような気分になりました。
そのまま大切に置いておこうと思います。
おしまい